ばきばきサラリーマンから主婦になって思うこと
直接ベルギーとは関係ない話です。
私は自他ともに認める仕事ラブ人間で、この1年海外で過ごすことについて最も心配されたことが、「仕事なくなって生きていける?」でした。現状かろうじて生きてますが、今日一つ学んだことがあったのでここに残しておきます。
今朝、慣れない左ハンドル右車線で車通勤している夫が、年明け早々車をこすったらしいです。自損で物損のみ、ケガもなく保険でカバーできる程度みたいで、本人の精神的な傷はおいといて、その事故自体についてはまあいいのです。
で、その報告を電話で受けたのですが、いざそれを聞いたものの、自分がどうすればよいかわからない。私は過去勤務していた職場で社有車の事故を取り扱う部署にいたので、電話で事故報告を受けること自体は慣れています。今日もその癖で、けがは?物損?と必要事項をスムーズに聞き出したはいいものの、自分がいるのは家。そして自分は主婦。そこからなにをどうすれば、どういえばいいのかわからなくなってしまいました。
甘えたらダメとわかっていながらも、まだ日本が夕方の時間帯であったため、母にメールで相談。すると、下記のような返信がありました。
あなたはずっと仕事してきたから、家で待っている経験がないから不安になるね。家族のことは直接自分では解決できないことばかりで、心配だけど、どうしていいかわからない、祈るしかないのよ。
私なんてそんなことばっかりだったよ。
大難を小難で済ませていただいたと考えて、無事を祈って待つこと。
あなたが元気で笑顔でいないとね。
母は偉大です。仕事もしつつ、私と同じように転勤についてまわる都合上主婦である期間も長かった母の言葉が心に響きました。
私もたくさん心配かけてきたけど、いつも程よい距離を保ってくれていた母。たくさん苦労をかけていたのだなと、じーんとなりました。
何かトラブルがあれば自分の手で、もしくは周りの力を借りて、解決することができるサラリーマンと、じっと黙って祈り、見守り支える主婦。私からすれば、後者のほうがよほどしんどいです。自分の手でなんとかしてしまいたいのです。でもそれができない。
以前から母は「この方角の神社に参るといい」とか「この方角への引っ越しは吉」など、方角系の占い?を信仰していて、私も引っ越しのたびにいろいろと巻き込まれてきました。夫いわく、義理のお母さんもとある神社?へのお参りを熱心になさっているとか。
正直私も夫も、この辺のことがよくわからず、面倒くさいなあくらいにしか思っていなかったのですが、今日こうして「ただ祈る」ことのしんどさを知って、二人の行動の意味や理由が少しわかったような気がします。
たった一人、頼るものもなく、信じて待つ、ということは、本当にしんどいです。私は母に頼りましたが、母も頼りたくなることがあるわけです。やれることはやりたい、でも祈ることしかできない、じゃあ祈れるだけ祈りたい。自然な流れだと思いました。
世の中で専業主婦をされている皆さん、また子育てをされている皆さん。心から尊敬します。毎日本当にお疲れさまです。皆さんが家を守り、ちゃんと信じて待っているからこそ、旦那様はのびのびと仕事することができるのだと思います。でもめっちゃしんどいと思います。なりふり構わず、両親、友人、頼れるものはとことん頼っていきましょう。依存先が多いことが自立することだと何かで見た気がします。
専業主婦を妻に持つ旦那様の皆さん、家事育児は、皆さんのお仕事と比べれば、もしかすると(肉体的には)楽に思えるかもしれません。でも、毎日毎日信じて待つことは、孤独でもどかしく、精神的にめちゃくちゃきついです。「何か気分転換でもすれば?」とか、軽い気持ちで言ってませんか?もちろんそのとおりです、気分転換すればいいんです。でもそれはサラリーマン的アプローチです。そうじゃないんです。主婦とサラリーマン、全く職種が違うんです。営業一筋の人が、こてこての技術屋さんに相談に行くときくらい相手の立場をわかろうとして、初めてわかると思います。現に私は、夫が車をこすって、露頭に迷って、初めてそれが理解できました。
いま夕方ですが、夫は今日も遅いようです。
無事に帰ってきますようにと祈りながら、夕食の準備をしようと思います。